表現規制問題はオタクに任せるべきではない

今日朝起きてごはん食べてからなんとなく考えてたことを書いてみる。

まず表現規制問題をオタクに任せるべきではないというのはどういうことかというと、 もうこれは読んだまんまで、表現規制問題にかかわる政治運動をオタク任せにしておくべきではない、 ということです。

これは何故か、というと、

  1. そもオタクと呼ばれる人はソーシャルスキルに欠ける場合が多い(と思われる)
  2. オタクは政治を行うスキルが欠けており、政治運動をしようとすると大抵失敗する
  3. 政治目的でオタクが群れると先鋭化し、周囲から理解を得られなくなる
  4. 現状オタク系の政治運動は政治スキルが高い人に負担が集中しており、人を使いつぶすことで成り立っている

というのが理由です。

まあそもそも自分も含め、オタクという人種は良くも悪くも純粋な人が多く、 政治なんてドロドロしたものに疎いんじゃないかと思います。

で、そんな純粋な連中が政治運動なんかをした日には、お題目に酔って気持ちよくなりどんどん主張が先鋭化し周囲からの理解を得られなくなり最後は内ゲバ合戦になる、 というのがオチです。

まあこれはオタクに政治運動をさせるべきではない理由の1~3なんですが、4はどういうことかというと、 現在のオタク系の政治運動は政治スキルの高い人を使いつぶしているってのが現状としてあるわけです。

これに関してはカマヤン大先生のブログにたびたび書かれています。

彼曰く、表現規制反対運動でロビーをしてるような方は、オタク趣味に没頭する時間も無く、 オタク趣味を守るためにオタク趣味から離れていくという一方なんだそうです。

また昔NGO-AMIという主に成人向け漫画を描いてる方がメインの表現規制反対団体があったんですが、 このAMIにかかわってた漫画家さんたちも、政治運動に時間が取られてしまって漫画家として活動できなくなり また今となってはAMIは過去の残骸状態になってるに等しい状態です。

あ、ちなみにカマヤン大先生というのは、

  1. オルタナの管理人で、
  2. いわゆるサヨに分類され、
  3. 時々陰毛論に走り、
  4. 極東板の市民運動観測所で観測対象になってる、
  5. 表現規制問題に関しては古参に入る

という微妙な意味でステキな方です。

まあそれはいいとして、オタクの政治運動はほとんどが当然のごとく成功せず、 漫画家等の作家が政治運動すると作家として機能できなくなり、 オタクや漫画家の中で政治スキルがある人が使い潰される、 というのが現状であることを考えると、オタクや作家に表現規制反対運動を任せるのはさすがに無理がある、 と言うのは理解できるんじゃないかと思います。

じゃあ誰が政治運動するべきなん?と言うと、これはカマヤン大先生が言ってるように、 同人即売会の運営や出版社等、表現で飯食ってる会社が行うべきことだと思います。

特に表現で飯食ってる会社は、自分達の飯の種を守るという意味で、 ロビー専用部署を作るぐらいのことはしないとダメだろうと思います。

そういうこと言うお前はどうなの?と言われそうですが、正直僕は精神病んでる上に地方に住んでるのでとてもじゃないけどできません。 さすがに仲間ゼロで一人でロビー活動なんで無理です。やり方もわかんないし。金も無いし。

んで、本来なら表現で飯食ってる会社が積極的にロビーかけるべきなんだとは思いますが、 現状では出版社やゲームメーカーがロビー活動してるって話はまったく聞こえてきません。 それで、オタクとか作家の政治スキルがある人が代わりにロビーかけてるってそれじゃあ表現規制問題は永遠に後手に回り続けるだけです。

まあ僕も表現規制問題に関して積極的に動く体力も気力も金力も無いんで、 他人のこと指してあーだこーだと大声で言える立場には無いんですが、 それでも表現で飯食ってる会社がまったく動かないというはどうかと思います。

まあこれ以上愚痴ってても仕方ないんで話を切り上げますが、 とにかく表現規制問題を規制反対派寄りに好転させようと思ったら、 今まったく動こうとしないところが動かすしかないと思います。


まあ話は変わって政治スキルも無いオタク君がこの問題にコミットしたくなったらどうしたら良いか、 というのをちょろっと書いてみたいと思います。

まず、政治スキルの無いオタク君が政治問題にコミットしたいと思うのであれば、

政治問題に関連するネット上での馴れ合いの一切を断つ

というのが第一歩だと思います。

どういうことかというと、要するに2chとかmixiで政治論戦ごっこをやるなってことです。 まずオタクが政治運動にかかわろうと思ったならばこれから始めるべきです。

で、次に必要なことは、金を用意することだと思います。

これは例えば政治家の主催する集会に参加する費用とか、 政治家への個人献金の費用に必要なことです。

特に政治家を動かすには金と票が重要で、まとまった票を用意できないのであれば、 金で動かすしかないということが言えると思います。

で、政治家を動かすのに一番効果が高いと思われるのは、 有る程度まとまった額の個人献金とともに、政治家へのお手紙を用意して渡す、 というのが結構な効果があると思います。

政治家にとって献金をしてくれる方というのはありがたい存在ですし、 有権者からのお手紙というのは無視できないものなので、 この二つを組み合わせるのはかなりの効果があると思います。 まあ僕はどっちもできて無いんですけどね><


もうこの記事をかれこれ一時間半ぐらい書いていて疲れてきたんでこれで話は切り上げます。

以上今日の朝なんとなく考えてたことを書いた記事でした。

: Society

児童ポルノ法で漫画やらを規制すべきでない四つの理由

奥村弁護士の

という記事を読んで、なぜ児童ポルノ法で漫画やらアニメやらゲームを規制するべきではないか、 という自分なりの理由をまとめたくなったので、とりあえず書いてみる。

(以下漫画やらアニメやらゲームやらのことを創作物と表記する)

一つ、創作物と被害者児童には直接的な因果関係がない

まず一つ目、これはどういうことかというと、これは読んで字のごとくで、 虐待や搾取の被害にあった児童と創作物そのものは直接的な因果関係がほとんどないということです。

まあ中には例外として、創作物が作成される過程で、搾取や虐待が行われる、という可能性は無くは無いですが、 児童ポルノ違反として検挙されるケースの内、ほとんどが児童買春であるということを考えると、 直接的な因果関係はないと断言しても問題ないと思います。

考えてみれば分かることですが、創作の過程で被害者児童が発生することがなければ、 創作過程において創作物は児童になんら影響を与えていない、ということは自明の理だと思われます。

一つ、創作物の取り締まりにリソースが割かれることは、被害者児童の不利益である

次に二点目、これはどういう事かというと、児童保護に割かれるはずのリソースが、 他の事に割かれてしまう(この場合は創作物の取り締まり)と、本来児童保護に必要なリソースが目減りすることになって、 児童保護がないがしろにされ、虐待や搾取された被害者児童達にとって、 大きな不利益になる、ということです。

大体ただでさえいい加減にしか行われていない被害者児童のケアが、 創作物の取り締まりによって忙しくなった場合に十分に行われることが期待できるか? と問われた場合、期待できるとは到底いえないと思われます。

一つ、創作物を児童ポルノとして扱うことは、実在の児童と創作物に描かれている架空の児童を同等に扱う事である。

三つ目、これはどういうことかというと、まず、児童ポルノが厳しく規制されている理由には、 児童ポルノというものが、被害者なくして存在し得ない、という点があります。 ゆえに児童の保護という観点から、児童を被害者としなければ存在できない児童ポルノは規制されているわけです。

要するに保護すべき対象がいるから、児童ポルノは規制されているわけです。 そこで命題にかかわってくることなのですが、創作物を児童ポルノとして扱うということは、 創作物に描かれた架空の児童を、保護すべき対象として認めることであり、 架空の児童を保護すべき対象とするのは、存在するものと存在しないものを、 同等に扱う、つまり、架空の児童と実在の児童を同等に扱うことである といえます。

はっきりいって、これは許されないことだと僕は思います。

なぜなら、どう抗っても人格や意思を持ち得ない存在と、人格を持ち、確固たる意思を持つ存在が、 同等に扱われる、ということは、実在する人物に対して、お前は架空の存在と等価な存在だよ、 と言ってるに等しいからです。

作者の意思によってどうとでもなる存在と同等に扱われるというのは、 実在の児童に人権を認めていないようなものです。

一つ、保護法益の混乱により、実務が混乱し、被害者児童の不利益になり、加害者の利益になる

最後に、これは最初に提示した奥村弁護士のBlogで言われていることですが、 個人を保護するための法律で、創作物の取り締まりという社会風紀を取り締まるという側面持ってしまうと、 児童ポルノ法の保護法益が、個人法益なのか社会法益なのか、という混乱が生じます。

で、児童ポルノ法違反の罪がそれなりに重いことが許されるのは、 児童を保護するという個人法益法だからなのであって、 これが社会法益法となったとすると、加害者の刑量が、加害者にとって有利となる、 という事態へとつながってしまうわけです。

また保護法益が個人法益から社会法益に転向するということは、 個人を守る法律から、社会を守る法律に変わる、ということであり、 個人保護がないがしろにされる恐れも出てくるわけです。

よって、被害者の不利益になり、加害者の利益になりかねない、保護法的の社会法益化は、 行われるべきではない、といえます

以上終了。まとめ

上記が僕の考えている児童ポルノ法で創作物を規制すべきでないという理由です。

まあいわゆる表現規制反対派の方は表現の自由がフンダララと言うんでしょうが、 上記の理由は表現の自由以前の問題です

まあ僕は個人的にですが、児童ポルノ法での創作物の取り締まり云々に、 表現の自由が云々というのは持ち出すべきではないと思います。

なぜなら表現の自由を持ち出せば、表現の自由のために子供を犠牲にしてもいいのかと確実に言って来るでしょうし、 もしそういった反論があって尚、表現の自由を主張すれば、子供に犠牲を強いる表現の自由は認めるべきではない という話になりかねないからです。

それこそ表現の自由を認めるべきではないという話になれば、 日本の民主主義の危機になってしまいますし、表現の自由が崩されれば、 日本は中国みたいな言論もへったくれもない国になってしまうばかりか、 国際的にほ評価の高い創作文化がダメになってしまう恐れもあるわけです。

あとそれといわゆる児童ポルノ法で創作物を規制せよ、と言ってる方に対しては、 本当に子供を救おうとする気はあるのか?創作物規制をして子供を救った気になりたいだけじゃないのか? と思ってます。まあ何でかって言えば上記の四つの理由からです。

まあとりあえず書くこと書いてすっきりしたので、今日はここで筆を置きたいと思います。

: Society

東京都条例の非実在ナントカについて

最初に書いておくと、今回のこの件については、この件に割ける精神的リソースがないため、 メール送ったりするつもりがありません。酷いなーこれと思ったりするんですが、 行動を起こせるほどの元気がないので、多分放置です。

今回の件についてはあまり情報を追ってないので、細かいところがよくわかりませんが、 いつぞやに書いたパブコメの流れを汲んでるっぽいです。

まあ政権交代とかで議員の入れ替えが起きたと思ってたんですが、 旧来の規制推進派の方々がまだ残ってたという話ですな。

ちなみにこの件についてはITmediaとかまとめサイトがよくまとまってます。

で、最初に重要なのは、パニックを起こさないということです。 パニック起こしても現実は変わりませんし逆に規制反対の人の立場を悪くするだけです

で、まあできることに関してはまとめサイトにまとまってるので、 そっちを見れば早いでしょう。あと、反対意見を伝えるときには、

  1. 冷静に
  2. 相手を尊重しつつ
  3. 自分の意見を伝える

ってのはポイントだと思います。

まあ僕は正直今回の件にリソース割けるほど元気じゃないので、 まあ気が向いたらメールでもしようかぐらいです。

まあ規制反対の方々は今回の件は本格的にマズいので、 冷静にがんばらないと手遅れになりますよとは言っておきます。

: Society

この間の記事がエロゲ表現規制対策本部のテンプレ入りしてた件

スレの流れを見た感じ、一時的に入ってるのか恒久的に入れられたのかまでは判別できなかったけど、 なんかエロゲ板のエロゲ表現規制対策本部のテンプレに表現規制反対派に厨しかいない理由 へのリンクが貼られてました。

まあ例の記事が貼られているスレは21禁(だったっけ?)のBBSPINKのスレなんで、 ここでリンクを貼るのは控えておきますが、まあ貼られてるのが見たい方は、 2ちゃんねる検索エロゲ表現規制対策本部で検索すれば出てくるので、 そこから辿ってください。ちなみに今リンクが貼られているのは対策本部の286の>>2です。

まあちょっと前にニュー速だったかで貼られてたのは見つけてたので、 別に驚きはしないんだけど、おー貼られてる貼られてるとニヤニヤしておりました(・∀・)

で、まあ初出したと思われるスレは既にdat落ちしてたので、あの記事がスレに貼られたときに、 侃々諤々の大騒ぎだったのが、それとも冷静に受け止められてたのかは分からないんですが、 まあスレのテンプレに入ってるって事は、割と冷静に受け止められたのかなと思います。

まあ、いわゆる表現規制反対派の方々が、自分の言動を冷静に見つめなおして、 自分達の運動の改善に生かしていくって所まで行けば、あの記事を書いた意味もあるというものです。

で、話は変わって僕はtrackfeedで言及元を把握してるわけですが、言及元見てたらTwitterで僕の態度がシニカルだ、 と正鵠を射ているコメントを述べている人がいたので参考にメモ。

最初シニカルって単語は聞いた事あるけどどういういみだべさ?と思ったので 辞書引いてみたところ冷笑的って意味が載ってました。

まあ確かに、いわゆる表現規制反対派、もっと踏み込んで言えばネットで仲間内で群れてお題目によって気持ちよくなってる方々 に対してはは冷笑的な態度を取るようになったんですが、だからといって、社会生活を営みつつ、 表現規制問題について社会に出てコミットしてる人達まで白い目で見てるってわけではないです。

っていうか表現規制問題について、社会に出て規制を防ごうと活動してる人達にはなんとか踏ん張って欲しいし、 今の僕にできる範囲で彼らの活動に関して何か手伝えたらいいんじゃないかなぁとは今でも思ってます。 まあ手伝える範囲で何か手伝えないかってのは室田さんと連絡取り合ってたときとあんまり変わりは無いんですが。 まあ確実にいえることは、表現規制問題を食い止めたいと思ったら、ネットで群れてないで社会に出て行動しろってことですかね。

まあ正直、僕も健全な社会活動が営めていない人間なんで(社会復帰のための訓練はやってるけど)、人の事を差して大声で指摘できませんが、 それでもネットに引きこもってる人達はもうそろそろネット断ちして表現規制問題にコミットしないと、 もうそろそろ情勢がやばくなってるんじゃないかと思います。 どっかの自称ネトウヨの人が言ってたけど、僕がまだ小学生だった1990年代とやってることが変わってないっていうのはちょっとね。

まあ今日はこの間の記事が表現規制反対派の関連スレに貼られていたので、 またちょっと表現規制問題について語ってみました。

まあそのうち普通の日記に戻るかと思います。まあこの記事も前の記事もチラシの裏だからね。ネットに公開してるけど。

: Society